<闘争の現場から>


闘う仲間から届けられた、映像記録による途中報告。
06年の靭公園・大阪城公園の行政代執行を軸として野宿・日雇労働者とその支援者た ちの姿をとらえた「関西公園」。
野宿者・失業者・非正規労働者など「持たざる者」 の国境を越えた連帯の取り組みを組織する「NO=VOX」の分かりやすい解説『NO=VOXと はなにか』。
そして、先日のドイツ・ロストックにおける反G8闘争の前線から届けら れた映像を併映する。
この出会いが、一つの「出来事」となることを願って。

■8月5日(日) ■開場:12:00 上映開始:12:30 終了予定:PM6:30ごろ
スペイン革命ドキュメンタリー『希望と欺瞞の間に』 PM0:30〜
副題ESPNA 1931-1939が示す通り1931年の王政の崩壊から39年の内戦の終結へといたる全過程を、フランコ体制の解体後にCooperativo de Cinema Alternativoが約2年間の歳月を費やして当時のフィルム、写真、新聞記事、ポスター、統計図表などを広範に蒐集する一方、戦争と革命の最前線を担ったCNT、UGT、社会党、共産党、POUM、国際旅団などの老闘士へのインタビューをも加えた長編ドキュメンタリーである。77年秋のCNT代表の来日に際し、当時のスペイン現代史研究会を中心に『スペインの短い夏』と共に製作された日本語版は、内戦をめぐる通史としては絶好のテキストと目されて自主上映されつづけることととなり、いまあらたに蘇る。

『関西公園〜Public Blue〜』(約70分) PM2:00〜
ドイツのアンケ・ヘルマンさん制作の関西路上生活者の記録
「関西公園〜Public Blue〜」とは ドイツ、アメリカ、日本のスタッフの協力で制作されたドキュメンタリーフィルム。
2006年1月、大阪市の大阪城公園とうつぼ公園で、行政によるテント村の強制的な排除がありました。それまでのテント村の人々や追い立て当日の様子をドイツからの留学生がドキュメンタリー・ビデオにまとめました。こういった排除は果たして問題の解決になるのでしょうか。そもそも、日本に野宿する人たちがいるのはなぜなのか。公園にテントを建てて住んでいるのはなぜなのか。こうしたことを考える必要があると思います。 「関西公園」で、大阪の公園で住む野宿生活者自身が「公園」を再定義し、「関西公園」と呼びうるコミュニティーの再生が映し出される。

『NO-VOXとは』 with Talk(「持たざる者」の国際連帯行動実行委員会) PM3:30〜
NO-VOXフランス制作 「持たざる者」実行委員会編集
「NO-VOX」とは・・・
「NO-VOX」とは“声なき者”を表す造語である。2002年、ヨーロッパ社会フォーラムにおいてフォーラムに参加した「持たざる者」等により、「NO -VOX宣言」を発表。2003年の世界社会フォーラムでヨーロッパ圏、インド、中南米の「持たざる者」等によって呼びかけられた、各地の「持たざる者」の団体等で構成される世界的なネットワーク。

フランスの「持たざる者」と日本の「持たざる者」の連帯
2000 年当時、フランスの失業者運動「AC!」の中心メンバーであったクリストフ・アギトン氏を招聘しての講演会を開催(主催:山谷争議団/山谷労働者福祉会館活動委員会)。2001年には山谷のメンバーが訪仏し、「DAL」「Droits Devant!!」等と交流。2003年世界社会フォーラムでのNO-VOXの呼びかけに応え、日本ではその年の10月に「持たざる者」の国際連帯行動が取り組まれ、クリストフ・アギトン氏も参加。2004年のムンバイでの世界社会フォーラムに向けてNO-VOXと共に名古屋・笹島日雇労働組合のメンバーがダリットの行進を担う。さらに山谷労働者福祉会館活動委員会のメンバーがフォーラムに参加した。その年、10月のヨーロッパ社会フォーラムにはフランスからの支援も受けて大阪・釜ヶ崎パトロールの会のメンバーが合流し、交流を重ね、日本での11.3「持たざる者」の国際連帯行動に呼応し、フランス・パリでは日本大使館への抗議行動が取り組まれた。2005年、ポルトアレグレ世界社会フォーラム、NO-VOXフォーラムでは大阪・釜ヶ崎パトロールの会、渋谷・のじれんのメンバーが参加し、共に占拠闘争等を担う。11月、フランス郊外の若者の「暴動」蜂起―戒厳令に対し、日本ではフランス大使館への抗議行動を取り組む。そして今年、大阪城公園・うつぼ公園での強制排除に対し、2月8日のフランス・パリでの連帯行動へと至る。


『ドイツ・反G8アクション参加報告映像』 with Talk Session PM4:30〜
 2007年6月初頭、ドイツ・ハイリゲンダムで行なわれたG8サ ミットに対抗した運動が生みだした空間は、まさに「多様性・柔軟性」 という言葉でいい表すのにふさわしいものであった。延べ十数万の参加 者たちは、各々の要求と課題をもちより、ねばり強い討議を繰り返しつ つ連帯を希求し、創造力にあふれた直接行動とフォーラム活動を展開した。
 1999年のシアトルWTO、2000年のジェノバG8を画期に台頭した反グローバリズム運動は、9・11と対テロ戦争の開始という バックラッシュを被った。しかし、とどまることを知らない新自由主義 と軍事主義による社会、環境、人権の徹底的な破壊策動は不満と怒りの 声を募らせ、そしてそれをテコに、対抗運動は新たな反撃の時を迎えつ つある。
 今年の反G8行動には日本からも数多くの人々が参加した。直接 行動をしたり、長い行進をやり遂げたり、対抗フォーラムの組織化に尽 力したりと、それぞれが様々な運動の場を体験し、貴重な経験を得てき た。